はてなダイアラー漫画名選 ゆうきまさみ『究極超人あ〜る』

究極超人あ〜る

−アンタダレ、アンドロイド、ナンデイルノ−


究極超人あ~る (1) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉) 究極超人あ~る (2) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉) 究極超人あ~る (3) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉) 究極超人あ~る (4) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)

−『山本正之'88』を72時間エンドレスでかけ続けて顰蹙をかったTSG部室に捧げる−

月刊OUTのアニパロ漫画からスタートしたゆうきまさみが、週刊少年サンデーで連載した学園コメディである。

非常に面白い作品なのだが、その面白さを伝えようとすると、何とも相応しい表現が見つからずに困る、そういう作品である。
強いて言えば、主人公が「アンドロイドだよ」「同じだ、バカ者!」と言われる存在から「だれもぼくがいることを止めることはできないのです!」という状態に至るまでのビルディングスロマン、なのかなぁ?

登場人物はそれぞれに『変』であるが、基本的には善人であり、世界はあくまで優しい。作者の周辺の実在の人物がモデルとなっているせいもあるのだろう。『変』ではあるが、自分の隣にいてもおかしくない、そういうキャラクターばかりである。

素材的には、アンドロイドである主人公のR・田中一郎や、その造り主であるところの町内一のマッドサイエンティスト成原成行など、ゆうきまさみの得意なSF的展開に持っていけるだけの内容が揃っているのだが、そちらの方向には流れない。根幹を貫くストーリーといったものを置かずに、作者のもうひとつの持ち味である飄々とした語り口で、成り生りて産霊ゆくイベントという物語の連鎖を語っていく。

愛すべき隣人達に囲まれた、はっぴぃぱらだいすという名のアジールあるいはサンクチュアリ

学園コメディであるからして、生徒会選挙やスポーツ大会などのイベントを絡めつつ、主人公たちの卒業までと、その後のやや大きな事件までが描かれ完結する。だが、それは単なる連載の終了であり、作品世界における物語の連鎖は途切れずに続くことが暗示されている。そう、今現在もいつだってあ〜る君は道に迷っているはずなのだ。

連載当時は素直に楽しんでいただけだったが、改めて読み返すと、ある種の理想的な文科系の「部活動あるいはサークル」の本質的なありようが懐かしさを誘う。用もないのに部室にたむろし、部室や喫茶店での馬鹿話が主要な活動内容として通用する世界。何気ない会話がテンションの異常な高揚を産み出し、あげくの果てに「傍迷惑」という名のプチ破壊活動に至る。これこそ文科系クラブのあるべき姿だろう。

そして、この作品については、メディアミックス展開についても触れておかなくてはいけない。イメージアルバム3枚の発売とOVA化が行われているのだが、いずれも音楽は山本正之氏と田中公平氏が手がけ、山本正之氏があっちの世界*1からこっちの世界*2へ復帰する契機となったのだから。

そういうわけで、あなたのリアルな友人達*3が登場してもおかしくない世界は、今日も新書版とワイド版と文庫版のかたちで「いることを止めることはできない」状態で其処にあるのである。

*1:童謡・みんなのうた

*2:アニメ・コミック系

*3:私ですか?
いたって普通の人たちの間で育ちました。せいぜい、
黒色火薬の調合に失敗して理科実験室の天井を焦がしたり、
蛙の解剖の後に供養と称して荼毘に付して般若心経二百六十余文字を暗誦したり、
地理の試験で「華僑」の説明問題が出た時に嬉々として「北京天安門広場にかかる鉄筋コンクリート製の紅い橋」と書いて成績調整を図ったり、
文化祭で使う占いプログラムの修正に失敗してストックフォーム一束使い切ったり、
文化祭当日にスコープドッグの着ぐるみ作って練り歩いたり、
愛用の自転車に「ヒロヒト号」と名づけて山手線と競走したり、
した人たちが周りにいた程度ですから。
間違っても、大学生協の"CO-OP"の文字を"CCCP"に書き換えてその隣に演説するレーニンの肖像を描くような人はいませんでした、はい。
ほら、普通だ。

後記:ごはんだけでもおいしいわ

「あ〜る」を漫画名選に挙げておきたいし、やはり自分でも書いてみたいという気分が抑えきれず参入。
好きな作品だからもっとさくさくと色々書けるかと思ったのだけど、全くそういうことはなかったのであった。
実に捉えどころのない、だが、そこが非常にいい作品であることを強く認識させられた次第。
疲れた、と同時に9番を確保できて良かったな、と。もし間に合わなかったら99番まで待とうかとか考えてましたんで。